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家族となる縁

ジョイアスバンド出演の写真

 

 

 先日、『袖すり合うのも、たしょうの縁』ということわざの『たしょう』はどんな漢字を書くでしょうと尋ねられました。私は、“多少”という漢字だと思っていましたが、実は“他生”と書くのですと言われて驚きました。このことわざの意味は、人との縁は全て偶然ではなく、深い因縁によるものであるという、仏教的な教えに基づいたものです。深い因縁とは、前世からの結ばれた縁と言うことです。

 

 天理教の教祖おやさまは、死んだら借りている体を親神様に返し、自分の物である心は、親神様の懐に抱かれていて、時が経てば、新しい体を借りてこの世に生まれてくるものであるとお教え下さいました。ですから、前世という教えがあります。

 

 人との縁、家族となる縁は、人間の力ではどうすることも出来ません。前世での心の種蒔きによって、親神様から与えて頂くのが縁であります。そして、その縁の中には、心を磨いて陽気ぐらしをして貰いたいという親心が込められているのです。心を磨く最高のパートナーが夫婦であります。

 

 親神様から、陽気ぐらしをするために与えて頂いた縁ではありますが、中には、苦手な人と出会ったり、子供で困らせられたりなど、こんな人と出会わなければと思う時があると思います。「あの子のせいで」とか「あの人のせいで」とか思いたくなることもあるでしょう。

 

 しかし、自分にとって都合の悪い縁であっても、そこには親神様からの親心があって、その人を通して、自分には見えにくい、自分の心の影を映してもらっているのです。ですから、「あの子のせいで」とか「あの人のせいで」とか思わずに『おかげ』が分かる自分になって「あの子のお蔭で、勉強になりました」とか「あの人のお蔭で、心が変わりました」といった思い方をして、自分の心を変えて、喜びいっぱいの陽気ぐらしを味わいましょう。