拝み合える家庭作りを

ジョイアスバンド出演の写真

 先日、高知新聞によさこい祭りの始まりについて書かれていました。戦後間もない頃、人々の生活は苦しものでした。そんな人々に「晴れの日」が必要として始まったそうです。

 

 「晴れの日」とは非日常の世界で神様と出会う祭りなどのことです。晴れの日に着る着物を晴れ着と呼びます。その反対に我々人間の日常生活を「俗の世界」と言います。俗の世界にいる人間は毎日いろんな心を使って生活をし、だんだんと感謝の心が薄くなり当たり前の心が湧いてきやすくなります。

 

 七五三参りがありますが、医学の進んでいない昔は、子供が大きくなるのは当たり前ではなかったのです。ですから、三歳、五歳、七歳とその節目で、「ここまで大きくなりました」と神様に感謝の報告をしたのです。人は、「晴れの世界」に入ることで、心がリセットされて感謝の心を取り戻すのです。

 

 しかし、今は、医学が進みリセットする「晴れの日」も伝統という行事で終わりがちになり、心がリセットされずにいるのではと思います。まして、昔は各家庭にあった仏壇や神棚が無い家があり、手を合わして感謝し、心をリセットする場所が無くなってきているのではと思います。心が感謝という心にリセットされないまま生活をしていると、心がイライラとして、ついつい子供に当たったり、「もっとこうしなさい」「あんな風になって貰いたい」など、家族に対して求める心や欲の心を使ってしまいます。そうなると、お互いの心が汚れてしまい、良き心の種蒔きが出来なくなります。心はほったらかしにすると汚れてきます。その汚れが、病気や家庭問題などの悩み事、不祥事といったことに繋がります。

 

 今ある姿に感謝する、そんな心にリセットするために「晴れの日」はとても大切であります。家の中に、手を合わす場所がない家庭が増える中、家族が夜寝る前にでも、「ありがとう」とお互いが手を合わすことができれば「晴れの日」になると思います。

 

 天理教では、親孝行・夫婦仲良くが幸せになる基本と教えられますから、神仏に手を合わせることはもちろんですが、家族同士が拝み合う家庭つくりもして貰いたいと願います。