レンタルの教え

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  皆さんこんにちは。去年の3月に私の両親がこの丹波の地に来て一年と四ヶ月が過ぎました。八十歳になる父は元気ですが、七十六歳になる母は介護をしなければなりません。初めて経験する介護生活は、いろいろと戸惑いを感じています。その中、介護の状況に合わせて、いろいろと便利な介護用品がある事を知りました。そして、介護用品のほとんどは借り物であります、つまりレンタルなのです。レンタル用品はとても便利で壊れたら修理をしてくれますし、介護の状況によって合わなくなったら交換や返品が出来ます。すべて介護用品の会社任せで、借りているこちら側は、レンタル会社の言われる通りに使うだけなのです。言われる通りに使わないと利用できなくなりますが、こちらが約束通りに使えば、とっても便利に利用できるのであります。

 

 もしも、介護用品がレンタルでなく買わなければならないとしたら自分の物になります。そうなると、壊れれば自分で修理をし、要らなくなったからと言って返品も出来ません。介護用品は、レンタルと自分物とでは便利さがずいぶん違ってきます。

 

 天理教の根本の教えは、身体は借り物という教えです。つまり、自分の物と思っているこの身体は、親神様からのもらい物でもなければ、贈り物でもないのです。借り物でありますからレンタルと言うことなのです。身体がもらい物であったり贈り物であったら自分の物になるので、この身体の管理はすべて自分がしなければなりません。この身体が親神様からのレンタルだからこそ、貸し主の親神様が身体の巧みな構造を動かして下さっているのです。もしも、自分で心臓を動かしていたらおちおち寝てもいられないのです。身体に傷がいけば治してもらえますし、ばい菌の侵入があればやっつけてもくれます。お医者さんは縫うことが出来てもくっつけるのは親神様任せなのです。また、古くなれば、死という行為で新しい身体に換えてもくれます。身体はレンタルだからこそ、親神様任せで毎日を安心して暮らすことが出来るのであります。

 

 そして、借りている側の人間がすべきことは、介護用品のように、貸し主の思いに沿った使い方をすることなのです。貸し主の親神様の望まれる使い方とは、助け合いという陽気ぐらしをすることなのです。夫婦仲第一を基本にした使い方をさせて頂きましょう。